go around go around the times go around

時代を超えて愛されるアーティスト。それぞれの思い出に浮かびあがるアーティスト。 中島みゆきを丸ごと感じ、体験できる展覧会とのこと。 デビューから今日までの彼女の活動を歩きながら散策することができる<みゆきストリート>がメイン。 懐かしいレコード盤をイメージした会場内では、自分だけの中島みゆきを見つけることができたり、知らなかった中島みゆきを発見できるかもしれません。 ミュージカル、舞台、コンサートとも称しがたい”なにか”である<夜会>を紐解く部屋があったり、 数々のアーティストが参加して、中島みゆきの楽曲だけで構成されるコンサート<歌縁>、さらに、中島みゆきの楽曲をドラマや映画、広告に使ったクリエイターの思いも感じられるはず・・・。 そして中島みゆきの歌詞で構成された<言葉の森>、こちらでは鑑賞者が葉をイメージしたものに思いを書いて、一つずつ追加していく企画もあるそうです。いずれ大きな樹木に育っていく樹にはそれぞれの思いが詰まっているはずです。 彼女独特の世界観、瀬戸氏は憂いを秘めた表現とおっしゃっていましたが、不思議で独自な世界観を感じる企画になっていると思います。 自分がきいたあの曲と思い出が結びつく瞬間を味わうことでしょう。 「全国を巡った展覧会、この後、札幌で<中島みゆき展>はラストとなります。彼女が多感な時を過ごした帯広でこの展覧会をやる意義を、ゆかりの地だからこその意味を感じていただけると嬉しいです。」 ※尚、写真は北海道立帯広美術館 瀬戸厚志氏からお借りしました。…

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about Käthe Schmidt Kollwitz

釧路市立美術館の沼前学芸員に気になる作家、展覧会について伺いました。 その作家とは、ケーテ・シュミット・コルヴィッツ。ドイツの女性版画家、彫刻家である彼女は、周囲にいた貧しい人々の生活や労働を描き、また、母として・女性としての苦闘を数多くの作品に残したそうです。 1867年生まれの彼女は、当初油彩を習っていたそうですが、ある版画家の影響を受け、油彩をやめ版画に専念することに。その後結婚してから、ベルリンの労働者街に住み、貧しい人々への共感から社会主義者としての活動を始めたそうです。作品の中にも色濃く表現されています。 貧困農民や労働者の絶望や抗議を主題とした<農民戦争>等はこの時期の版画作品。表現主義的な荒削りで力強いスタイルで制作されています。 その後彫刻もはじめ、やがて版画スタジオを運営するようにもなったのです。 しかし、1933年ナチスの台頭以後はアカデミーからの退会を余儀なくされ、スタジオも取り上げられます。彼女は第1次大戦で息子を、第2次大戦で孫を失ったそうです。母として平和主義者として生涯を通じて、虐げられた人々や弱い人間たちへの共感に満ちた作品を作り続けた人だそうです。 「第一次世界大戦で息子を亡くしたことが、彼女の作品にも大きな影を残しています。そのことをきっかけに喪に服すというテーマを生涯探求し続けたのですから。」 エリート階級の美術界とは距離を置き、貧しい人々を治療する医師であった夫と暮らした彼女。その診療所からも多くのモチーフを見いだしたとも言われているそう…

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Amami stay diary

写真家、シマエナガ伝道師、山本光一氏、台湾に続き奄美大島編です。 台湾から戻ってきてすぐに、車を調達し、フェリーに3回乗り継ぎ、やっとついた奄美大島。 実はあちらに1年滞在する予定で、家も借りたそうです。ところが・・・・・・・ 電気はついても電波がない。テレビっ子なのにテレビが映らない。さらに仕事の内容も野生動植物の保護保全と聞いていたのに、植物がメイン。 モチベーションが低くなるばかり。さらに肩の調子が悪くなり、仕事は1日で帰ることを決意したそうです。 「やはり自分は、北海道、シマエナガ・・であることを痛感したんですよ。」 その後奄美大島で固有種の撮影を2週間ほどして北海道に戻ってきたそうです。 エナガの種類は20種類ほど・・でも亜種もいるので、一概には言えないそう。そもそもヒマラヤを起点に南と北に分かれたとか。 北にはヤブカラ、南にジャワエナガ。今後はこれらを探して撮影なさりたいそうです。 ただ、ジャワエナガはインドネシアのジャングルに。小さくて機敏に動き、地味な色をしているそうで、探す事さえ大変そうです。 ということで、次回はカナダ バンクーバーあたりでヤブカラを狙いたいと考えているそうです。 ジャワエナガよりも大きく、ジャングルではないので、まずはそこからスタートして、その後は機会を見てジャワエナガを狙いたいと考えている山本光一氏でした。

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