2025.0606O.A 「擦文時代は謎が多い?」

小田島賢さん(厚岸町海事記念館 学芸員)

擦文時代は約7世紀から12・13世紀頃の時代。<擦文>はその名の通り、はけで擦ったような文様が見える土器の出土する時代のことを指すそうです。この時代は、北海道独自の要素に、本州の文化や大陸の文化の影響が加わる時期。家も4本柱の竪穴住居。釧路地方では東側にカマドをとりつけるのが一般的。カマドの煙が外に抜ける道は、板状の礫や粘土で作られているそうです。この時期の釧路市の遺跡では。北斗遺跡が有名。厚岸町では、厚岸湖の北側にある神岩竪穴群、通称下田ノ沢遺跡がよく知られているそう。
神岩竪穴群はチャシ跡と併せて北海道の史跡に指定されているそうです。約160万㎡というかなり広い土地の中に竪穴住居跡と思われる窪みが400個以上。ただし、この遺跡は熊の巣窟であるため簡単には近寄ることができないのです。そこで、令和3年度に史跡地内すべてをレーザー測量を行い、竪穴住居やチャシ跡の地形図を作成したそうです。翌年、これらの一部を4つのジオラマにして、現在厚岸町郷土館で展示しているそうです。気になった方はチェックしてくださいね、
この神岩竪穴群は約半世紀前に3回の発掘調査が行われているそう。その中の1つの竪穴住居ではかなり面白い事例が見つかっていると小田島氏。カマドの煙が抜ける道は、礫や粘土で作られているのですが、その住居では礫ではなく、大きめのカキで作られているとか・・・。まさにカキの町厚岸ならではですね。
「その他にも厚岸町には、いくつもの竪穴住居跡がみられる遺跡がありますが、発掘調査が行われたのは、この神岩竪穴群だけ。今後、これら町内の遺跡は、発掘調査だけでなく、現在の状況も把握できていないところがかなりあるので、GPSによる位置情報を記録したりするなど、様々なことを行うことでもっといろいろなことがわかってくるのではないかと考えています。」
また、擦文時代は、お墓が少ないことでもよく知られているそうです。道央の江別などでは、北海道式古墳といわれる大きめのお墓があるそうですが、道東では少数。下田ノ沢遺跡では一つのお墓が発掘調査から見つかっていて、壮年の145cmほどの女性とされる骨が発見されているとのこと。厚岸町のこの時代のお墓はこの事例のみで、まだまだわかっていることが少ないのが現状だそうです。
※写真は小田島賢氏からお借りしました。