耳で楽しむstory〜融(中西 紗織編)

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世阿弥作の名作で上演機会も割と多い能。主人公の源融は実在する人物で、光源氏のモデルの一人と言われています。自分の屋敷の庭に塩竃の海の景色を再現したことで知られています。なぜそんなことをしたのかは謎ですが、平安時代の貞観11年に起こった大地震と関係があるのではないかと言われています。地震の少し前まで源融は陸奥国の按察使という官職についていました。地震や津波で失われた風景をよみがえらせて失われた魂を追悼したいという動機だったのか?庭に海水を引くことまでして塩釜の海辺の風景を再現した背景にはそんな思いもあったかも・・・・・。
《融》
 登場人物:前ジテ〜尉 後ジテ〜融の大臣の霊 ワキ〜旅の僧 アイ〜所の者
 場所:京都 六条河原院
 季節:八月  曲柄:五番目物
●能でよく見られる名乗りの台詞で始まる。都、つまり今の京都は憧れの地。僧は、船に乗り山を越え、旅の宿に暮らす日々を過ごし、やっとたどり着いたプロセスを語る。そしてこの能の舞台である場所、六条河原の院に到着。そこに前ジテの老人が現れる。
●融の大臣(おとど)とは?源融は<河原左大臣>とも呼ばれたように、左大臣という官位の大変身分の高い人物。それで<融の大臣>とこの能にも出てくる。やりとりから、都の六条河原の院に塩竃の浦がそのまま移されて、海で汐を汲むことも再現したからこそ、老人は自分が汐汲であることは間違いないのだと言う。折しも月が出て、風情ある場面。
●やりとりの直前に賈島という中国の詩人の名前も出てくる。賈島という詩人は<僧は推す月下の門>か<僧は敲く月下の門>のどちらがよいかで悩んだそう。推す<すい>と敲く<こう>、推敲。結局<敲く>に決めた。推敲とは、文章を何度も練り直すこと。その故事が秋の夕景色に相応しいなあというわけ。
それほど美しかった屋敷も庭も、融が亡くなると荒れ果ててしまった。昔語りをした老人は、汐を汲むと跡形もなく姿を消す。ここまでが前場。
<中入り>でその土地の男(アイ)が登場し、僧に問われるままに河原の院の昔話を語る。それを聞いて僧は、先ほどの老人は源融の幽霊だったと気づく。後場となり、融の幽霊がかつての若く高貴な姿で現れる。
●融のおとどが昔の姿で現れ正体を明かす場面。後ジテの融はこのあと〈早舞〉という舞を舞う。後半場面の見せどころ。月の光のもと、妙なる音楽が流れ美しい貴公子が舞う。昔の風景がよみがえる。そして最後の場面。シテと地謡のやりとりによって物語がテンポよく進む。
●明け方近くになると、融の幽霊は月の都に帰っていくように消えていく。この能の最後は<あら名残惜しの 面影や名残り惜しの面影>と、融のおとどのお姿はなんと名残惜しい面影でしょうという言葉で終わる。そのため、どなたかを追悼した追善能の機会に演じられることもよくある。
「実は数年前、《六条河原院》という詩を書きました。私は日本歌曲振興波の会というところに詩人として所属していて・・・。能《融》は大好きな能の一つなのです。そこからインスピレーションを得て、源融が塩竃の浦を再現した謎への答えとして、その世界を描いてみたいなあと思ったのでした。」